THE OWNER INTERVIEW #04
宿ホトリニテ(山梨)/ 高村直喜さん
後編 ホトリニテの意味と宿への想い
日本全国に増えているホステルスタイルの宿「ゲストハウス」。ゲストハウスプレスでは、オーナーや運営者へのインタビューを通して、ゲストハウス運営に込められた深い想いや目的がどのようなものかをお伝えします。ご紹介する個性あふれる宿たちは、「安いから泊まる」「旅の途中だから泊まる」という従来の安宿の概念を越え、ホテルや旅館とも違う、新しい旅の概念を、あなたに教えてくれるかもしれません。
第4回目のオーナーインタビューは、山梨県山中湖村にて元保養所だった宿を新たにつくりかえ、宿・ホトリニテとして営業をされた、宿主高村直喜さんです。ホトリニテは、宿泊は素泊まりのみとし、ドミトリー室も設置、元食堂だったところにライブラリーを備えるなど、「ゲストハウス」「旅館」といった枠に囚われない新しいタイプの宿です
その2では、音楽を志していた高村さんが、地元山中湖村で三代目として宿を継ぎ、自分を表現する場として作っていった「宿づくり」を中心にお聞きしました。
(全2回連載)聞き手:西村祐子(ゲストハウスプレス編集長)
−−−THE OWNER INTERVIEW#04 前編 からつづきます
海外に行って日本の良さを、地元を離れて山中湖の良さを知る
−−−きっぱりと音楽を止めて、宿をやると決められたときに気づいたことはありますか?
高村:自分の性分で、「音楽をやっていたい」「人と出会いたい」というのもありますが、もうひとつさらに深くその意味を考えると、「人と出会いたい」というのは、「何か知りたい」ということ。「世の中や社会ってどうなってるんだろう?」と思って、その理由を知りたくて人に会うんですね。一人じゃわからないし完結できないので。
例えば、まだこの宿をやる前に友達が来てくれて、「ここでお前の音楽が生まれたのがわかる」とか「ホントいいところだね」って言われて、この場所を絶賛して帰るわけです。確かにここは山中湖の湖畔だし景色はいい。でも別にその時、自分は湖も興味ないし、富士山も興味なくて。
−−−生まれたときからこの環境だとその良さがわからないのですよね。沖縄の人が海に入らないのと同じ?(笑)
高村:なんでみんな山中湖のことをよく言ってくれるんだろう?ここの良さってなんだろうな?と思うようになったのも、実家の宿を継ぐひとつのきっかけだったかもしれないですね。
うまく言えないんですけど、この宿を経営することは、相手が知りたい欲求と、自分が伝えることの結果がわかりやすいというか。
−−−カナダで日本を再発見して、日本の中でまた山中湖を再発見したような?
高村:そうですね、そんな感じですね。実家が宿だと気づいたら、「ここで遊べる」みたいな感じでした。そうすると、もっと地元のことを知りたいし、他と比べたくなる。
そうするためにいろんな土地に行くと、「ここはこういう風に商店街は開発されていて活気づいてるな」とか、その地域の宣伝の仕方を見て、「ああ、ここはこの土地のことをよく知った上でうまく紹介しているな」といった視点からその土地を見るようになりました。
宿をやるときに、そういう視点で見るようになったこと、10年間、音楽だけじゃなくて美術やいろんな社会のことを勉強して、その10年蓄えたものが、一気に全部、宿の機能として活かせたんですよね。
自分でなにかつくるとか、まとめるとか、バランスを整えるということを、僕は10年間音楽のために見てきた。今はそれが自然と、宿のお花を活けるとか、そういうふうに役立ったり、全部活かせている気がしますね。今までやってきたことがすべて無駄じゃなかった、それが実現できたのが宿だった、のだと思います。
「漢字」と「名詞」を避けて、余韻を感じる宿名に
—宿を継ごうと決めて、名前やその他いろいろなことを変えたと思うのですが、どんなことにこだわって変えたか教えてください。
高村:大きく変えたことがふたつあります。まずは名称ですね、ホトリニテという。「旅館」とか「なんとか荘」というとイメージがつくじゃないですか、例えば“民宿高村”ってなると、なんとなく古民家風とか「ああ〜こんな感じかなあ?」というような。なので、宿名を決めるとき、いろんな場所、宿だけではなくてカフェなんかも見て参考にしました。
カフェも、なんかおしゃれなフランス語とか「ジュノアールなんとか」とかつけるじゃないですか(笑)そうすると宿っぽくないけど、なんかオシャレな感じがする。とか。
まず僕は宿名としては「漢字が嫌」だったんです。「捉えどころのない状態で相手に委ねたい」というのがあったんですね。想像力に委ねたい。けれども、漢字にしちゃうと、比較的「和」のほうに寄ってしまうので、カタカナで、なんでも捉えられそうな感じにしようっていうので、まず、カタカナで行くというのが決まりました。
カタカナは決まったんですが、さらに「名詞が嫌」というのもありました。例えばりんごの木とか(笑)。ペンションりんごの木とか、ありそうじゃないですか?
—(爆笑)あるある。
高村:そういう、なんとかホテルとかわかりやすい名前ではなく、ちょっと形容詞とか、助詞とか、何か余韻が伝わるようなものにしたかった。
そんなとき、京都に行って焼肉屋で「さよならのあとに」という名前のお店を見つけたんです。今はあるかどうかわからないんですけど、「焼肉屋でその名前ってすげーな」と思って、で、余韻を伝えるのはこの感じだな、という方針が決まりました。
高村:それで宿の環境を再度考えてみると、湖だ、と。この宿は湖のほとりだな・・・じゃあ「ほとりにて」とかどうかな?とそこで浮かびました。で、湖の近くだからホトリニテっていうのがひとつあります。
アートや音楽、ものづくりをする人を応援し続けたい
高村:それと同時に、自分は音楽をずっとやってきて、「なんでこの自分のやってたことがあまり世に伝わらないんだろうか?」って思い続けてきました。
もちろん自分の技術や努力不足だからですけど、でもそうした、ものをつくるとか、ものを考えて売る人——特に作家と呼ばれるものをつくって売る人、アートにしてもそうですけど、なんというか、全く売れないですよね(笑)
−−−まあ・・・確かに基本売れないというか。売れるほうが珍しいのはありますね。
高村:だから、そういう「何かこれを自分はしたいんだ!」と表現したい人の近くにいたい、ほとりにいたいっていう思いも込めています。
自分がこの場を活かせる、ここホトリニテに僕がいることで、彼ら(作家さん)の役に立てたらいいなっていうのもありますね。まあおせっかいなんですけど。
−−−ホトリニテという名前は、ちょっと手紙っぽい感じもしますよね。ほとりにて、って手紙やはがきの最後に書くような。
高村:そうですね。“さよならのあとに”のような、うまくそういう感じの余韻がある名前ができました。
元の木造建築を活かして、自分で全体デザインした宿の内装
−−−ここは古くからの木造建築ですが、継ぐにあたってご自身で新しく変えたところはどういったところですか?
高村:物理的には、玄関は、色あいや壁紙を替えています。玄関には富士山の絵がありますが、宿に入ってすぐのところにシンボルをひとつつくりたくて。友人のイラストレーターにお願いして、壁紙を剥がして、壁にダイレクトに絵を書いてもらいました。
二階は、使う色を徐々に統一していきました。以前は鏡台の部分に赤い布を使ってたり牡丹の絵が書かれていたり、紫色があったりしたのですが、それを徐々に統一していきました。茶色と焦げ茶、ベージュなど、これくらいの色だったら使うっていう基準を決めて。
あとは、電球を暖色のものに変えています。以前は全部蛍光灯だったんですよ、それを全部変えて。部屋も全部明かりの色は変えて。入ったときに統一感を感じるようにしました。
−−−それはデザイナーさんが入ったとかではなく、高村さんがこれはこうしようって決めていったのですね。施工業者を入れて、どん!とやったりはしなかった?
高村:はい、全部自分で、考えました。業者を入れたのは、トイレだけですね。あとは全部自分でやりました。薪ストーブ入れたのも友人だし、一階のライブラリー部分の床も、無垢の床材を自分たちで切って敷いています。
−−−もともとはどんな床だったのですか?
高村:もともとはビニール素材のクッションフロアみたいなやつでした。てろてろのやつ。すごく冷たいイメージがあったんですよね。で、この無垢の床材を敷いて、床はとにかく変えたかった。入って違和感がない、落ち着くイメージにするためにこだわりました。
トイレの清潔さは「ここで寝たいと思うかどうか?」が基準
高村:トイレに関しては、もともとだいぶ古くて、ずっときれいに掃除はしていたのですが、やはりトイレの栓が詰まったり、水が流れにくくなったり、凍って破裂したりいろいろあったので直しましたが、トイレに関しては自分なりの基準みたいなものがあって。
昔バックパッカースタイルで自分が旅して歩いてたときに、ときどきトイレで寝たこともあるんですね。
−−−ええっ!?
高村:トイレとか廃屋に入って寝たりとか・・・ほとんど泥棒ですよね?(笑)トンボの死骸が横にあって、みたいな。コンビニの横で寝たりして野宿をしていました。トイレでは何ヶ所かで寝たことがあるのですが、あるときすごくきれいなトイレがあったんです。そこで「ああ、こんなトイレで寝られるっていう位にきれいなのはいいな」という基準が自分の中に出来た。
だからとにかく、トイレは「トイレで寝たい」って思われたい位に清潔なことが重要だと思っています。旅の経験から、まあ寝る人はいないでしょうけど、自分の基準として「トイレで寝られる」っていうのが重要なポイントになったので、重点的に直していったというのはあります。
ゲストの目線に立った動線づくり
高村:昔の職人さんのー宮大工さんとかの話を聞くと面白いんですけど、海外の人、特に石文化の人は、まず全体を考えてそれから細部を考える。でも日本の昔の職人さんは、取っ手から考えるって言うんです。取っ手の小さい細工からつくって、それをどんどん広げていくみたいな考え方。その感覚って自分の中にもあって・・・。
−−−ディテールから行くっていう?
高村:そう。小さいところから決めて、どんどん広げていく。宿を改修しはじめたあとからそれを聞いて「なるほど」って思ったんですけど。
僕も何回玄関から出入りしたかわからない位です。
自分ちの外から歩いてきて、うちの印象はどうだろう?と、体感の中で、「これは暖色で」「ここは取ったほうがいい」などを決めていく。
玄関から入ってきてお客さん目線で何回も歩きました。で、お部屋に入って、「これはここは邪魔だな」とか、「ここはこっちにあったほうがいいな」と。なので、自分のからだでつくっていったというのはありますね。
−−−この宿のすごさというのは、かゆいところに手が届くというか、いちいちものすごく気が利いているなあと唸る部分がすごくあって、そこにホトリニテの美学を感じるのですが、その秘密はこの「お客さん目線で何回も歩いた」ことにあるのかもしれませんね。
3年経ってようやくスタートライン
−−−リニューアルしてご自身で宿名を変えてオープンさせて3年、これが完成というのはないのかもしれませんが、宿としては今、どの程度の完成度なのでしょうか?
高村:今3年経って、もうすぐ4年目なんですけど(取材は2014年秋)、今やっと自分が目指したかったところのスタートラインに来た、という感じですね。
ライブラリスペースに、日本を伝えるセレクトショップとして醤油だとかがあって、本もあって、部屋もお客さんが寝て、休めるスペースがあって・・・。まだ自分の中ではアイデアがあります。貸し切りできるお風呂と、内庭をつくるっていうプランもありますし、他にもまだ構想があるんです。最近ドミトリーをつくったのもそのひとつですけど、ドミトリーの下にある空間も、もうちょっと変えたいとか、いろいろあります。
誰でも気軽に泊まれる雰囲気を残して、ジャンルに縛られない宿にしたい
−−−逆に、変えたところではなく、この宿のよさは、実は「変えなかった」ところにすごくあるとも感じています。お金さえかければ、きれいにするのはいくらでも出来る。けれども、トイレはリニューアルするけれど、「男湯」「女湯」のレトロな雰囲気の照明を残すとか、そのデザインバランスが絶妙だなと思いました。高村さんの中で、変えなかったところのこだわりというのはありますか?
高村:そのお話はうれしいですね。変えなかったところ、というのは、見ていただいた通り、部屋とか、保養所っぽさ、つまり気楽に泊まれるイメージや温かみのある和室っていうのは、わざと残しました。狙って残しましたね。
というのも、自分がお客さん目線に立ったときに、もちろん当然のことのですが、僕の考えは、限られた人には来てほしくないんですよ。
例えば、「アート好きだけが来る」とか、「こういうやさしい感じの人が来る」というような。今、名称がホトリニテで、何をやってるところですか?と聞かれたときに、「宿」っていうようにしてるんですが、旅館とかホテルとか民宿、ゲストハウス・・・っていうとイメージがつく気がして避けているんです。
僕は「捉えられないもの」をつくりたかった。「価値に捉えられない」ものをつくるのが目的だったので、お客さんも限定したくなかったんですね。
「価値を限定しない」スタイルを貫く意味とは?
高村:なぜ保養所的な気軽な要素を残したかというと、おしゃれとかきれいとかデザインされていることに特化しているのは、ある種無言で一般の人に対して強制的に排除しているところがあるような感じを受けるんですね。
で、自分の表現したいその捉えられない部分というのは、オシャレなんだけどオシャレじゃないというか、その絶妙さみたいな、なんだかわかんない、っていうのってそういうところだと思っているんです。
古くていいっていうのも含めた上で、ここに来てほしいのは、オシャレな人も「ああ、古くさい感じもいいな」って思ってもらいたいし、古いのが好きで気楽さを求めてくる人にも「土で汚れたまま入っていい」みたいな感覚。
土方の人も来るし、その土方の人も「こんな面白いものがあるんだ」って気づいて帰ってく、みたいな。価値がひとつじゃない、ということをうまく表現したいんです。まだ、出来てないんですけど。
−−−いろいろな価値観をクロスさせたい、といった感じでしょうか?
高村:そうですね。こういう価値です、と限定しないことを大事にしています。うちのお客さんには、この宿をオシャレだねっていう人もいれば、本がたくさんあると居づらい・・とか(笑)、そういう人もいるんです。そういう人は上でパンツ一丁で酒飲んで、というような過ごし方をするし。だからライブラリーで選んでいる雑誌や本も、「こういうものだったら、ある程度の人たちに引っかかるんじゃないか?」と考えてセレクトしています。
部屋の名前も、ちょっとオシャレな感じに変えようかなとも思ったんですが、そのままで・・・「梅」とか「松」とか、従来の部屋名を変えなかったんですよね。部屋の名前の看板も木で、親戚のおじちゃんが書いたんですけど、そのままにしていて。そういう部分が融合しているようなかたちで出したいな、という思いがありますね。
−−−古さを残してデザインされているというのは、感じていましたが、それを残す勇気、お金がなかったとかそういうのもあるかもしれないけど、勇気と高村さんの強い意思を感じますよね。
富士山という観光資源を抜きにして、宿として勝負できる存在でありたい
−−−ここ山梨県・山中湖の湖畔で育ったこと、ここのよさや一度離れてみてわかったことはありますか?
高村:たぶん京都と一緒で、富士山というのは日本をイメージしたときに、圧倒的な日本人の拠り所で、観光地として最強じゃないですか。だから富士山麓、富士五湖というのは最強の中にいて観光地としては王者的な存在ですけど、その中にいるからこそ、観光業が富士山に頼りきってるな、っていうのは感じます。
例えば、ここに富士山なくて湖なくて、自分がこの宿で何かできるか?って考えると、なかなか難しいと思うんですよ。やっぱり富士山があって、湖もあって、この環境だからよりいっそうよく見えるというのはあって、その部分はデカイわけです。だから海外の人も来てくださるんですけども、そこに甘えたくない、というのはあります。
−−−富士山なしでも勝負できるぐらいの宿でありたい、と。
高村:はい。この一大観光地でいることのよさっていうのは、いいことでもあるけれど、悪いこともより見えた。でも自分と同じスタイルで表現する人はこの近辺にはいないので、今の自分のやり方には納得しています。
自分としては、宿を通して世の中のことを知りたい、というそれだけでやってる気持ちです。お客さんから世の中のことを教えてもらう。そのためにも、これからも、いろんな人がより多く来てくだされば、よりいろんなことが知れるので、これからもその意識で続けていこうと思っています。ー了
次回は飛騨高山ゲストハウスとまる 横関真吾さん・万都香さんご夫妻
次回のTHE OWNER INTERVIEW #05は、岐阜県飛騨高山市にあるゲストハウスとまるの横関夫妻へのインタビューをお届けします。カナダでツアーガイドをしていたおふたりが、縁もゆかりもなかった高山でゲストハウスをすることになった経緯とは?どうぞお楽しみに!
宿 ホトリニテ http://hotorinite.com
富士五湖のひとつ山中湖畔に建つ1960 年創業、3 階建15 部屋、 和室中心の素泊まり宿。ライブラリー、共用冷蔵庫、ドミトリー 室、駐車場あり。富士急富士山駅より路線バス30 分、新宿方面 からの高速バス「山中湖ホテルマウント富士入口」より徒歩5分。
料金:個室1室1名3,990円 相部屋1名3,000円
〒401-0501 山梨県南都留郡山中湖村山中1464
TEL 0555-62-0548 (受付時間9:00~22:00)
MAIL hotorinite@gmail.com
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