ゲストハウスプレスー日本の旅の、あたらしいかたち。

 

#02 ゲストハウス蔵(長野)後編

THE OWNER INTERVIEW #02
ゲストハウス蔵(長野)/山上万里奈さん

後編 地元須坂と外国人をつなげるゲストハウスづくり

本全国に増えているホステルスタイルの宿「ゲストハウス」。ゲストハウスプレスでは、オーナーや運営者へのインタビューを通して、ゲストハウス運営に込められた深い想いや目的がどのようなものかをお伝えします。ご紹介する個性あふれる宿たちは、「安いから泊まる」「旅の途中だから泊まる」という従来の安宿の概念を越え、ホテルや旅館とも違う、新しい旅の概念を、あなたに教えてくれるかもしれません。

第2回目のインタビューは、長野県須坂市で2012年秋にゲストハウス蔵を開業された山上万里奈(やまかみまりな)さん。山上さんが地元・須坂でのゲストハウス開業・運営にこめた思いとは?
(全2回連載)聞き手:西村祐子(ゲストハウスプレス編集長)

ゲストハウスが地域と外国人をつなぐ存在になる

−−−ゲストハウス蔵は、山上さんが日本語教師の道をいったん脇に置いて、地元須坂にUターンして開業した宿です。地元でやるにあたって「こうありたい」という理想の形はありましたか?

山上:高山の旅館や、修行先の宿場JAPANでも感じたことなのですが、私は、やっぱりゲストにちゃんと「おもてなし」がしたいという思いが大きい。ただ宿の経営という部分ではそれだけでは成り立たない。なので、それを実現するためにどういうコンセプトで経営するかも考えました。

それが宿場JAPANが提供する「地域融合型」宿というものです。 これからの日本社会では日本人の人口減少に伴い、外国人が移住されるケースも増えてくると思います。そのときに、そこにゲストハウスがあることで、無知や偏見から来るトラブルなども解消できる窓口になればいいなと思っています。

山上:例えば、夫のサミーラも日本で生活していると、やっぱり理不尽な差別を感じることもあります。でも、直接話したり、彼の人格を知ると、みんな彼の良さをわかってくれて、差別なんてしなくなる。彼は日本語もペラペラですし。だから、この宿に外国の人が来て、いろんな国の人と日本人が交流してその国のことがわかれば、日本とその国とが国同士で何かあったとしても、個人個人では、その関係って崩れないと思うんです。

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−−−そういう思いを抱くようになったのは、彼が外国人というのがきっかけでしたか?

山上:そうですね、でもそれだけではなくて。中国での日本語教師時代、ちょうどその頃も大きな反日デモがあった時期だったんですね。毎日、国際NHKテレビを観ていても、大使館で暴動があった、だとか、日本車が壊されたとか、そういうニュースがずっと流れていて、もちろん当時、日本の友達や家族は心配して「大丈夫?」と聞いてきました。

でも、私は、日本語を教えていたというのもあって、まわりにいる人は親日的で。ちょっと特別な環境だったというのはあるにせよ、本当によくしてもらったんですよ、中国の人に。

−−−それは田舎も都会も変わらなかった?

山上:デモがあったのはちょうど山東省にいたときで、田舎のほうだったので情報がちょっと少なめ。でも学生の携帯電話には日本製品の不買運動がどうとか、そういう情報が回ってきてたりということもありました。

そのときに仲の良い中国人の先生たちとは、とことん話しあったんです。中国では、中国と日本の戦争の歴史それだけで一冊の本になっていて「これだけ私達は勉強してるんだ」ということを言われたりして。

ただ私も中国に赴任する際に「なんかあるかもな」と思って、日本の歴史の本を持っていっていたんです。ただ本をちゃんと見てみると、中国との戦争のことは3行くらいしか書いてなかったりして。

そんな違いを指摘しあいながら、とことん話しあったのですが、そうして時間をかけて話し合って、理解できない部分があってもお互い尊重しあって築いた絆があります。たぶんそういった経験があると、今また反日デモがあったりしても、その人との私の関係性は、絶対崩れることはない、と思うんです。

やっぱり個人レベルの、そうした一対一の関係は、これから絶対もっと大事になってくる。そのような外国人と日本人ゲストや地元の人と交流する場としてゲストハウスは最も適していると感じています。ゲストハウス蔵はそういう場所でありたいですね。

ゲストハウスは年齢や性別、国籍も越えたコミュニケーションの場

山上:ただ、自分たちの偏見というか、無知というのも気づかされることもあるんです。実は先日、コロンビアからのゲストが来たんですけど、コロンビアって聞いただけで、麻薬?闇組織?みたいな怖いイメージがちょっと・・・(笑)。でも、来たゲストさんが、とにかくすごくいい人だったんですよ。そしたらもう私の中のコロンビアのイメージがころっと変わってしまって。

−−−自分が会ったことがない国の人、初めて出逢うその人が、ある種自分にとってのファーストコンタクト、いわば「コロンビア代表」みたいになってしまいますよね。

山上:国代表になるというのもありますが、ゲストハウスって、国籍なんて関係なくなることもよくある。それもいいですよね。国も職業も取っ払って、年齢も関係なくざっくばらんな話をして、そういう環境ってゲストハウス以外では作り出すのが難しい気がします。

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−−−ゲストハウスを始めて、そうした国や年齢を超えたコミュニケーションの場にするという思いや試みは成功していますか?

山上:そうですね、ただ、ここは今のところ外国の方が常にいるような環境ではないので、そこまでまだ満足できているという状態ではないですが。 先日、ゲストハウス蔵に中国の方が来てくれたときは、その方は旅行じゃなくて須坂の工場に研修に来た人だったんですけど、色々な話ができて、そのとき同泊のゲストの方がたまたま地元の人で。そういう体験を生み出す場として、ここが根付き始めているのを感じると、すごくうれしいです。

宿づくりを通して地元・須坂のよさを再確認

−−−須坂は山上さんの地元ですが、Uターンで帰ってきて、ゲストハウスを始めてみて改めていいな、と思ったことはありますか?

山上:高校時代は、須坂のことを好きでもなく、ずっと居たいとも思ってなかった。ただ、大学で都会に出たら、お盆や年始とか田舎に帰る際に友人に「出身が長野」って言うと、みんな「いいとこだね〜」って言うわけです。あら?と思って。

けれども、地元に帰ってくれば、「こんなとこ出たい!」ってみんな言うわけですよ。外からはいいところと言われ、そこに住んでいる人は、逆のことを思っている。それって何故?と思っていました。ただ、私も、自分自身30歳を過ぎて、ちょっと都会の生活に疲れてきて、「長野、いいな」って思い始めたんですね。

宿場JAPANが掲げる「地域融合型宿」というのは、宿は宿だけの機能に留めよう、そしてその宿は泊まるための場所。食事はっていうと、近くの飲食店を紹介したり、温泉に入りたければ近くの温泉を紹介したりだとか、どんどん「まち」に出ていってもらって町のみんなでゲストをもてなそう、というコンセプトなんですね。

その考え方に賛同して誰がやってくれるか?となったときに、地元が長野県とはいえ、私は長野市にはあまり知り合いもいない。となると、ゲストハウスを開業するのは完全に長野県内でもこの生まれ育った須坂に絞られて。そして実際、須坂で物件探しを始めたときから、やっぱり「私、地元が須坂です」っていうその一言が効いたんですよね。

長野電鉄須坂駅は長野駅から特急で20分
長野電鉄須坂駅は長野駅から特急で20分

−−−「あなた須坂の子なのね!」というような歓迎する同郷の仲間意識みたいなものがあるのでしょうね。

山上:はい。やっぱりその一言があって、協力してくれる人がパーッと増えて、地元の方が物件を紹介してくださったりしました。実は今やこの宿の応援団っていうのも作ってくれていて、地元の方からバックアップしてもらったりしています。ゲストとまちを歩いていても、行きあう人みんなとあいさつを交わしたり、ゲストに紹介したお店で「蔵さんのゲスト~?」なんて声をかけてくださったりすると、ここはみんなが知り合いなんだね、ってよくゲストに言われます。

それって自分の育った町以外ではあり得ないし、東京などの大都会でも当然ない。私が須坂出身で、須坂で宿をやったからこそ、のことだったので、やっぱりここでゲストハウスをやってよかったな、と思っています。

製糸家の旧家を利用したゲストハウスづくり

−−−併設のカフェはお母様が運営されているのですよね?家族で経営って「地元」っぽくてとてもいいですね。

山上:最初は計画になかったのですが、この物件を見たときに、母が「ここでカフェやりたい」って言い出して。ゲストハウスとしても平米的に大きかったのでちょうどよかった。カフェは、木金は休みで、それ以外の日中は営業しています。

ここは位置的にもよくて、須坂のまちを観光される方は、須坂のクラッシック美術館から田中本家まで歩いて移動することが多いのですが、ちょうどその中間地点でちょっと一息つくのにいい。とはいえ、私はカフェの部分に関してはまったくノータッチなのですが。

−−−この建物について教えてください。相当古い家ですよね?

山上:築100年以上はあるようですが正確にはわかっていません。15年前くらいまでは利用されていて、その後は空き家でした。ですが、台所にある食器棚や和室にある棚などは全部この家に残っていました。

このあたりは、おかいこ(生糸を作る製糸家)で栄えた町なのですが、ここも製糸家のお宅のものでした。須坂には三大製糸家っていうのがいて、そのひとつが小田切家で、ここも小田切の一族の家なので、須坂の中でも裕福なところだったと思います。

例えば、床の間の柱に釘隠しっていうのがあって、柱の釘穴を隠す細工があるんですけど、それがある家っていうのは裕福の象徴なのだそうです。ほんとにちっちゃい釘なんですけど、それを隠すだけの飾りだから、相当手が込んでるというか、贅沢なつくりで、松代にある真田邸とか、須坂の他の製糸家のお宅とかにはあるんですよね。

欄間など細かい造作も美しい
欄間など細かい造作も美しい

−−−ここを宿にすると決めた決定的な理由はどんなところだったのでしょう?

山上:実は、こことほかもう少し迷っていた物件もあって。そこは銀行跡だったところだったんですけど、昔、銀行ってこのあたりはみんなまゆ蔵を持っていたんですね。というのは、「かいこ」が担保になったから、それらを保管できなくちゃいけなかった。だから銀行が蔵になっている(笑)。

そんな蔵が今も残っているところがあります。別の候補にあがった場所も立派な蔵だったのですが、比べてみると、今のこの物件のほうが観光ルート的にもいい位置にあるし、雰囲気といい中庭や縁側といい、いい!!と思って、決めました。

−−−物件を借りるにあたって工事の資金はどうされたのですか?貯めておられた?

山上:貯めてなかったです、全然。修行時代に「ゲストハウスやりたい」って言ったときには、貯金もほぼない状態で・・・。自分の人生において、それまで全然お金貯まることやってなかったんですよね(笑)。で、事業をやるにあたっては、宿場JAPANで3ヶ月のDETTIプログラムに参加したあとに、お金を稼いだ期間が1年。そのときに地元の飲食店と携帯電話のテレアポ、居酒屋の3つバイトを掛け持ちして、貯めて、200万円くらい用意しました。

−−−地元のバイト3つかけもちで、1年かけて貯めまくった・・・。凄すぎです。

宿とかカフェでもお店でも、やりたいなーっていう人は多いけれども「お金がないから無理」と諦めている人っていっぱいいると思うんですよね。でもそうじゃない。

何事もまずはやるって決めて、それから本気で準備するのが早い。その心意気が本当に素晴らしいですね。山上さんのお話を聞いていると、どんなことでも、夢を実現するかしないかの差は、本当にそのことを「決断」するかどうかだけなのだろうな、と改めて感じます。

蔵を中心に古い町並みが残る須坂・本町通り
蔵を中心に古い町並みが残る須坂・本町通り

古さを残し、日本のしきたりを伝える

−−−この家をゲストハウスに改造したときに気をつけたことやこだわっていることはありますか?

山上:改造といいますか、逆なのですが、ここは古いお宅がそのまま残っていたので、新しくしたくなかったんです。ほとんど間取りは変えていません。また、リノベーションにあたっては、デザインも設計も業者さんは入れず、電気水道はもちろんプロの方にやってもらったんですけど、あとは長野の門前エリアで空き家のリノベーションを何十軒も手掛けているMYROOMの倉石さんや、地元須坂のOpendesignの依田さんにアドバイスを受けて、木材を塗ったものを持ってきてもらったり、自分たちで工夫したり、できる範囲でアドバイスをもらったり、その部分をお願いしたり、手作りでつくっていきました。

この宿は、間取りも変えてないし、築100年以上。ということは、この場所に100年前から人が住んで、それがそのまんま残っている。結構それはすごいことなのかな、と。

前に一度外国の方の口コミで、「すごくいいところだったよ」って書いてくれた方がいたのですが、その方から「ただ、部屋にいると、ほかの人の声がまる聞こえだ、と。あたかも自分の部屋に誰かがいるくらい聞こえる」というコメントをもらったんです。“ペーパードア”(直訳:紙のドア)って言われて。ふすまのことなんですけど(笑)いやな感じで書かれていたわけじゃないんですが、そんな声があって。

そのときは「そうか・・・」と思ったのですが、よく考えてみると、今ここに来てる人は、みんなアパートとか、木造じゃなくコンクリートの家で育っていたりするわけですよね。

日本では、日本語で「プライバシー」っていう訳語はない。プライバシーはプライバシー。だからおそらくプライバシーっていう外国語が入ってくる前までは、日本にはプライバシーという概念がそもそもなかった。カタカナ語でしかない。

この家には生活で使用していた部屋は3部屋しかありません。大家さんである小田切家は兄弟が多いと聞いています。みんなこの家で暮らしていたんです。子供が思春期だろうと、自分の部屋があるわけでもなく。ペーパードアで音がまる聞こえで、ふすま1枚で仕切られている。

ふすまの向こうは別の部屋。100年前から変わらない間取り
ふすまの向こうは別の部屋。100年前から変わらない間取り

で、それってコンクリートの家ではあり得ないことですよね。隣のお客さんの声も全部聞こえる。でも日本って、たぶんそういうところだったんですよね。だから、自然にまわりに気を遣わないといけなくなったり、他人を気にする文化も生まれたと思ったんです。

ですからその口コミがあった後、そういう部分も敢えてちゃんと紹介して、「間取りも全く変えてない。けれども昔から日本人はそういう暮らしをしていたから。」と言ってみたんですね。

−−−外国人の反応はいかがでしたか?

山上:うん、やっぱりみんな「これはあり得ない」という。でもそれが日本なんだなって思うって言う人もいるし、ほんとに全然日本でしか体験できないからこれはこのままでよかったという人もいました。そういった意味でも、敢えて襖や障子を壁に変えなかいでよかったと思いました。

須坂を外国人が日本で長期滞在しやすい「入口」のまちに

−−−今後、このゲストハウスをどう発展させたいと考えていますか?

山上:今は月に1回、地域に住む外国の方を呼んで、その国を紹介してもらいつつ、その国の料理を楽しむというイベントを開催しているのですが、そういうことを継続的に今後もやっていきたいですね。

須坂は人口5万人の市ですが、そのうち500人が外国人なんですね。須坂在住の外国人。でも、須坂に住んでいる人にそれをいうと、「え、そんなにいるの?」ってみんなびっくりするんですよ。それだけ須坂に住んでいる外国人が、日本人のコミュニティーに入ってきていないってこと。

イベントに参加してくれる方は地元の方も多いので、こういうイベントを通して、知り合うよいきっかけになれば、と思っています。地元に住む外国の方にとって、須坂が住みよいまちであってほしいですね。

ライブイベントではご近所の常連アーティストさんが駆けつけました
ライブイベントではご近所の常連アーティストさんが駆けつけました

また、日本に住んでいる外国人は、今まで日本語学校で出会った人を思っても、生活が苦しくて、日本を楽しめてない人が多いようにも感じたので、もっと楽しんでもらいたいな、と思っています。そのために、将来的には須坂をワーキングホリデーの方の入口のまちにしたいという構想も持っています。

−−−ワーキングホリデーは、外国人が1年間滞在できて、短期だとアルバイトもできるビザですよね?

山上:そうです。ですからここでもワーキングホリデーの人たちを受け入れしていきたい。日本は英語社会じゃないから、ワーホリ(ワーキングホリデーの略)の外国人が、他の国と同様の考え方で、行きゃなんとかなるかと思って来るけれども、日本に来ても英語通じないし、日本語を話せなかったら仕事もない。

そもそも日本に「住む」となったとき、外国人がアパートを借りるとなると、大変なネックになるもののひとつに保証人問題があります。日本にワーホリで来る短期居住の外国人に「保証人になってもいいよ」なんて良心的な人はなかなかいないですよね。そうすると住むところすらない、という。結局、(外国人専用の)外人ハウスに行くとか、ゲストハウスに泊まるとかしか選択肢がないわけです。保証人問題に触れないところで住むしかない。

けれど、外人ハウスに住むと、せっかく日本に来て、日本が好きで来ている人が多いだろうにまわりは外国人だらけ、という状態になって、結果、英語で生活してしまう。でも、やっぱりもっと日本に入り込んだ生活をしたい、と思う人も多いはず。

そこで、まず私は日本語が教えられる。住む場所は、ここは宿だから提供できる。じゃあ、ワーホリで来日する人は、おそらく東京や大阪などの大都市から、そのほうが情報も仕事もあると思ってそこに行くと思うのですが、そうではなくて、ここ須坂にまず入ってもらって、数週間、日本語をある程度、アルバイトの面接ができるくらいの日本語力をその期間で身につけて、で、仕事も長野か東京か・・・どこかで選んでもらえるような、そうした入口の場所にしたい、という構想です。

さらに須坂で仕事も紹介できたらいいな、ということも考えています。須坂の市の問題として農業の人手不足の問題がある。だから、そことマッチングして、いけばいいんじゃないかな?と。農家さんにも話をしてはいますが、まだちょっと具体的には話が進む段階ではないのですが、そうした試みもしてけたらよいな、と。仕事まで紹介できたら、ここでワーホリの生活をしてもらう基盤はできるから、今後はそれに力を入れてやっていきたいな、と思っています。

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(2013年7月21日 長野県須坂市ゲストハウス蔵にてインタビュー)2016年4月再編集掲載

→ THE OWNER INTERVIEW#03  次回は岡山県倉敷市のゲストハウス有鄰庵中村功芳さんです。

ゲストハウス蔵 http://www.ghkura.com

長野県須坂市の古民家を活かした和室ドミトリー&個室にラウンジ・キッチン・カフェを併設したゲストハウス。

長野電鉄須坂駅より徒歩15分、駐車場あり。
料金:男女別相部屋1泊3,000円〜 個室1泊1名様4,200円より
冬期は暖房費として300円UP。最大定員12名

〒382-0086 長野県須坂市本上町39
TEL 026-214-7945(8:00〜23:00)
info(@)ghkura.com
ゲストハウス蔵に行ったらやりたい4つのこと

Written by

西村祐子 / ゲストハウスプレス編集長  : 「好きなことをして生きる」を実践するべく活動するライフクリエイター。2017年より神奈川の海辺から大阪にUターン。現在はあたらしい旅と暮らしの発信基地Wanderers!の運営をはじめ、 旅にまつわるさまざまな事業プロデュースを行っている。http://moanablue.com/life