ゲストハウスプレスー日本の旅の、あたらしいかたち。

 

#01 山ノ家カフェ&ドミトリー(新潟)前編

THE OWNER INTERVIEW #01
山ノ家 カフェ&ドミトリー(新潟)/池田史子さん・後藤寿和さん

前編 山ノ家以前のこと。

本全国に増えているホステルスタイルの宿「ゲストハウス」。ゲストハウスプレスでは、オーナーや運営者へのインタビューを通して、ゲストハウス運営に込められた深い想いや目的がどのようなものかをお伝えします。ご紹介する個性あふれる宿たちは、「安いから泊まる」「旅の途中だから泊まる」という従来の安宿の概念を越え、ホテルや旅館とも違う、新しい旅の概念を、あなたに教えてくれるかもしれません。

第1回目は、新潟県十日町市松代(まつだい)の地に2012年8月、山ノ家カフェ&ドミトリーを開業された池田史子さん・後藤寿和さんのおふたりです。その1では現在までの仕事や経験を通して、山ノ家が出来るまでのプロセスについて語っていただきました。(全3回連載)聞き手:西村祐子(ゲストハウスプレス編集長)

出会いは仕事場、同じ職場で切磋琢磨していた

−−−お二人は公私ともにパートナーとして、山ノ家を運営なさっているわけですが、そもそものおふたりの出逢いと経緯を教えてください。

後藤:僕は前職はIDEE(イデー)という会社で働いていて、そこで彼女と知り合ったのですが、その会社で同じような体験・経験したことが、やはり今につながっているのかな、と思っています。ふたりが仕事上で一緒に何かを作ったり立ち上げたりしていた中で、共感する部分が多くあった、というのがきっかけでした。

彼女と僕は違う立場で、僕はいわゆる設計、空間のデザインという立場でやっていて、ある時はそのデザイン部署のリーダーのようなこともやっていました。

池田:私は、企画・広報・営業関連すべてという感じでした。入社して2〜3年は普通に店頭にも立っていました。「ものづくりを志すならば、必ず店頭に立って、もしくは配送に伺うといった場で、プロダクトとお客様とが直接ふれあう場に充分に対峙することを経るべきである」というのが当時の会社の方針だったので。実際とても必要なことだと思います。

そのあと、法人営業や企画営業もやりましたし、並行してプレスワーク的なことや、海外のデザイナーが来るときにアテンドしたり、商品開発のための企画展を立ち上げたり。

あと、とにかく新しいプロジェクトが立ち上がる時に投げこまれがち(笑)。何も無いところから自力で何かを起こして行かなくてはならないという局面をみっちり体験できました。この状況と経験には非常に鍛えてもらったと思っています。

山ノ家 後藤寿和さん
山ノ家 後藤寿和さん

いっしょに何かをつくっていく中で共感・独立

後藤僕がイデーに在籍していた1999年あたりから2004年あたりまでは、特に多方面に、いろいろ革新的な取り組みを行なっていた、非常にアグレッシブかつ刺激的な時期でした。元来のインテリアプロダクトの企画販売やデザイナーのプロデュースに留まらず、空間のリノベーションをそれをとりまく背景からプロデュースしたり、飲食部門への進出、東京発の国際的なデザインイベントを立ち上げたり。

それらに関わった体験のすべてが、現在も自分たちの中に深くしみわたって蓄積されているという実感があります。

池田:その当時イデーを中心に勃発した東京から世界に向けて発信していく、東京の街そのものを同時多発的にショウケース化しようというデザインイベント、東京デザイナーズブロック(=TDB、2000〜2004)の現場では、コンテンツの企画や運営といったソフトウェアを私が、空間構成や演出といったハードウェアを後藤がという組み合わせで、いっしょにプロジェクトに取り組む場面が多く、そうした中でより共感や信頼が深まって行ったのではないかと思います。

結婚したのが2003年、独立してクリエイティブユニットgift_(ギフト)を共同設立したのが2005年です。 ちょうどその年にTDBを引き継ぐような形で新しいスタイルのデザインとクリエイティブの見本市、DESIGNTIDE TOKYO※(2005〜2012)がスタートして、その立ち上げの最初の3年間は、生まれたてのユニットgift_として、かなりディープに関わりました。

さまざまな個人やカンパニー、トランスジャンルのクリエーターをクロッシングして、新しい場や価値観をつくりあげて発信して行こうという動きですから、その現場は本当に本当に大変でしたが、それを経験できたことはとてもありがたいことだったし、自分たちのコラボレーションのスタイルもそうした修羅場(笑)をいっしょにくぐり抜けて行く中で育まれて行ったように思います。

※DESIGNTIDE TOKYOは、2004年まで開催されていた「デザイナーズブロック」から活動を引き継ぐかたちで2005年にスタート。2008年に一部仕組みを変え、2012年まで年1回のペースで実施されていました。

山ノ家 池田史子さん
山ノ家 池田史子さん

後藤自分たちが独立して自分たちのユニットをスタートさせようという時も、自然に、そうした体験、さまざまな状況とかネットワークとかが日常的に交わる場みたいなものがつくりたいなという思いがあって。

なぜユニット名のgift_にアンダーバーがついているかというと、giftから多様な「何か」がつながっていくようにという接続入口のようなもの、その象徴なんです。

池田:次への兆しを宿している感じ。後藤の名前もアルファベットで書くとGo toで何かに向かう途上というイメージですし(笑)。

独立当初からシェアオフィス、人が自由に行き交える場

後藤:独立当初は自宅兼事務所みたいな感じでスタートしようとしたんですが、どう考えても何かが足りない、と…

池田: 4月に独立して、6月にはもう、自宅という完全にプライベートな場所ではなく、常に自由に人が行き交える場所で仕事をしたいという結論になりました。ちょうど同じ頃に、インディペンデントでアート・キュレーターをやっていた知人がパートナーといっしょにショップを始めようと思っているということで、双方、自分たちの事務所を外に持つのは初めてでちょっと心細い。だったらいっしょに場所を借りよう、と。

知人は60年代カルチャーのギャラリーショップ、私たちはデザイン事務所兼ギャラリーショップとして、ひとつの事務所を通常は半分ずつ使って、展覧会や音楽のライブやトークイベントなどをする際はひとつの空間としていっしょに運用していました。

よく考えたらその当時から今で言うシェアオフィスだったわけですよね。

3年後の2008年、個人事業としてスタートしていたgift_を法人化するタイミングに、知人チームも自宅に仕事場を移すことになり、gift_の単独オフィス兼ギャラリーショップになったのですが、2012年に山ノ家をスタートする頃から、また新たなシェアメイトができて現在に至るという感じです。

つまり、自分たち以外の人と場所を共有するということが、gift_のスタート地点からすでに始まっていたわけで、自分たちが無意識のうちに、山ノ家というシェアスペースの原型みたいなものがあったんだなと今にして思います。

カフェスペースは地元の小中学生にも解放している
カフェスペースは地元の小中学生にも解放している

後藤:基本的にはやってることはずっと変わっていないですね。スタッフしか出入りできないこもる場所としての事務所ではなく、ふらりと自由に人が出入りできる場所がいいよねと、gift_というユニットのデザイン事務所をgift_lab(=gift_の実験室)と名付けて、オープンにして、自分たちの好きな音楽CDやアート書籍を自宅から持ち込んだのがギャラリーショップの始まり。少しずつアーティストとのネットワークも広がって行っていっしょにイベントや実験的な企画などを重ねて行ったんです。http://gift-lab.tumblr.com/

すべての仕事や出来事が、今につながっている

池田:gift_labという自分たちの拠点を核に、さまざまな人たちといっしょに「場」や「プラットフォーム」をつくるという動きが不思議とどんどん繋がっていきました。

先ほど話にあがったDEGIGN TIDEですが、2回目の2006年に、原宿の交差点に近い明治通りに面した取り壊す寸前のビルを自由に使って良いということになって、メイン会場として活用することになりました。壁を壊し、床を剥がし、その剥き出しの空間の中に多様なデザイナーの作品を展示していくという空間構成を後藤が担当、オフィシャル企画展のコンテンツ企画のようなことを自分が担当ということになりました。テーマはカタチだけではないデザイン。

実はその前年、gift_を始動した直後に、環境問題に関わるプロジェクトを支援する組織であるap bankの新規事業立ち上げに関わることがあって、それまで環境問題に対して自分から積極的にコミットメントはしてこなかった人間だったのですが、そこでかなり刺激を受けました。これからの地球の行き先について、自分たちがなすべきことについて、深く考えさせられました。

2005年から2006年というのは、今でこそ常識の、エコの知識やルールが一般に浸透していく夜明け前のようなタイミングで、教条的ではない、もっとこなれたスマートでチャーミングな形で日常的なエコスピリットを訴求するにはどうしたらよいのか、その行為のデザインをテーマにしてみたい、とDEGIGN TIDEの委員会で提案して、エコ×クリエイティブのグループ企画展を行なわせてもらうことになりました。

ファインアート作品から広告的な手法のコミュニケーションデザイン、インタラクティブゲームから映像作品、グラフィティまで、さまざまなジャンルの30組を超えるクリエーターが「ゴミの資源化」をテーマにそれぞれ新たに作品を制作してもらったり出展してもらったりしました。

参考:Tresured trash http://www.treasured-trash.org/

山ノ家2階にあるアート展示スペース 部屋はアーティストレジデンス的にも使われている
山ノ家2階にあるアート展示スペース 部屋はアーティストレジデンス的にも使われている

このエコ×クリエイティブの企画展のタイトル ”treasured trash(トレジャード・トラッシュ)”=タカラモノニナッタゴミは、実は初出ではなく、イデー時代に社内でこつこつと続けていた自主企画展のひとつから名前を引き継いでいます。

その当時は、日頃、ゴミだと思っていたものも視点を変えてみれば何か別の新たな機能や側面が見いだせる、「視点の変換」という意味合いで名付けたのですが、この時は明確に「ゴミ」の3R(Reduce/Reuse/Recycle)という意味合いを前面に出していたかな。

その2006年の作品群の中でもメインキャラクターのような存在だった、白い角丸のペットボトル回収ゴミ箱=「資源ポスト」くんが、今は山ノ家の入口にお地蔵様のようにかわいく鎮座しています。

 いつも何かの「磁場」をつくりたい

池田:翌2007年のDesignTideでもそのスピリットを受け継いだトランスジャンルのグループ作品展を共同制作させてもらったのですが、その2006年〜2007年の作品群や ”treasured trash”という名のクリエイティブ・ハブ、プラットフォームのような動きに国内外から注目して頂いて、関西やシンガポールや台湾などのアジアの都市でも巡回展を重ねました。

中でも、印象に残っているのは、南アフリカのアーティストで、海岸や街頭に溢れているプラスチックゴミを仕事を持てない人たちに回収してもらって、それを素材に、カットのしかた、組み上げていく形をデザイン、地元の伝統工芸の手法で加工してもらうというやりかたで、カラフルでスタイリッシュな照明器具をつくっている人がいて、その加工されてできた作品(プロダクト)自体も美しいのですが、その製作過程自体が仕事の機会創出というスマートな社会支援にもなっているという作品(活動)です。

−−−ゴミからそういう仕事を生み出すところまで持っていったのですね。それは凄い。

池田:ゴミだと思ってたものがゴミじゃないよという、「視点の変換」という考え方は、私のライフワークみたいなところもあって。

いつも自分は何らかの「磁場」をつくりたいという衝動で、ものごとを始めている気がするのですが、根底にあるのは常にその「視点の変換」というテーマで、その衝動たちがバラバラではなくてすべて必然としてすべてが今につながってる気がします。ムダなことは何もないといいますか。

イデーでの日常業務の中で考えたこと、やってみたこと、TDBやDEGIGNTIDEでトライさせて頂いたこと、gift_のクライアントワークでぶつかった課題、すべてが有機的に連係しています。山ノ家の立ち上げも、私たちにとっては良い意味で「既視感」のある行為であり、と同時に新たな挑戦でもあったわけです。

備品も商品も美しくディスプレイされている
備品も商品も美しくディスプレイされている

導かれるようにこの土地に出逢い、スピード開業。

−−−そういうアートやデザインの最先端と言ってもよいお仕事をされていたおふたりが、ここ新潟・松代とのご縁が繋がったのはどういう経緯だったのでしょうか?

後藤:もともとこの松代が位置する新潟県十日町市周辺というのは、2000年から「越後妻有・大地の芸術祭」という地域一体となった国際的現代アートのトリエンナーレが開催されていて、僕らも普通にお客さんとして見に行ったことはありましたが、特に関係者の一員だったわけではなかったんです。

それが、2011年、震災からちょうど3ヶ月後の6月に、知人を介して、ここ松代のちょっとさびれてしまった商店街の真ん中にある「ある空き家」についてアドバイスを求められたんですね。そして、その空家を何とかしたいという、地元の地域活性活動のリーダー的存在の若井明夫さんと出会った訳です。

最初、僕らはデザインやコンテンツのアドバイスを求められたのだと思っていて、その場所を視察に行って、「ここだったらカフェがいいんじゃないですか?2階は宿にしたりして」なんて話をしてたんですが、どうも若井さんのお話をよくよく聞いていると、「もしかして…僕らにその事業をやって欲しいという話なんですか、これは?」と(笑)。

−−−あはは。それで、その流れで引き受けられたのですか?

池田:結果、なし崩し的にこの話を進めることになって。とはいっても、もちろんここに惹かれた理由というのは数多くあります。

まず大きかったのは、ここが単なる風光明媚な里山というだけでなく、すでに10年以上、世界に誇れるすばらしいアートイベントが根付いている、非常に文化的リテラシーの高いエリアであること。既成事実として、アートが共通言語として存在しているというのは私たちにとってとても魅力的な環境でした。そして、日本有数の山間の豪雪地帯であるがゆえに生まれたとも言える棚田や温泉といった豊かで美しい自然資源の存在。

更に私たちにとってとても幸運だったのは、若井さんのような、私たちと地元の人たちとを通訳してつないでくれる土地のリーダーとことの起こりからいい形で知り合えたこと。ここ松代は元々宿場町で、見知らぬ旅人を「まあお茶でもどうぞ」と温かくもてなす「茶もっこ」という風習があって、そもそも、「ヨソモノ」にオープンな風土があるのかもしれません。

まつだい駅から徒歩圏内だが人通りは少ない
まつだい駅から徒歩圏内だが人通りは少ない

紆余曲折ありましたが、話が勃発した2011年の年末までに外装を改装することを条件とする市の街並整備助成金を受けるために、年内に外装工事を敢行。12月から4月は雪に埋もれる土地柄なのでいったん休憩。雪解け後の5月に運営母体となる別会社を設立。

2012年は3年に1回のトリエンナーレの開催年。何としてでも7〜9月の芸術祭の時期にオープンさせたい、と思った訳ですが、私たちにとっては降って湧いた話だったので当然開業資金はゼロ。最低限の資金調達に奔走して着工できたのがもはや7月。

−−−え〜っと、7月着工で、9月までの会期中のオープンは・・・可能だったのですか?

池田:施工は地元の大工さんといっしょに、学生や社会人のボランティアメンバーを募って、のべ30 人超えのサポーターのみなさんと突貫施工合宿をしました。

通常がプロの施工で1ヶ月はかかる工事工程のリノベーションでしたが、工事開始後2週間半の8月10日、めでたく1階のカフェをオープンまでにこぎ着けました。それも、東京のgift_としての通常のデザイン業務と並行して行なわなくてはならなかったので、相当がんばりましたよね。

−−−もともと設計デザインのプロの方だとはいえ、もう、すごい・・・としか言えないですね!そのお話は。

ドミトリー部屋もシンプルかつ美しく整えられています
ドミトリー部屋もシンプルかつ美しく整えられています

山ノ家 カフェ&ドミトリー http://yama-no-ie.jp

新潟県十日町市にある民家をリノベーションしたシンプルな空間に二段ベッドを設置したカジュアルなゲストハウス。

上越新幹線・越後湯沢駅経由ほくほく線まつだい駅下車 徒歩5分。
料金:素泊まり1泊4,000円
ご宿泊の方の朝食500円(前日までに要予約)

〒942-1526  新潟県十日町市松代3467-5
TEL 025-595-6770(金〜日10:00-20:00)
info(@)yama-no-ie.jp
山ノ家に行ったらやりたい3つのこと。

Written by

西村祐子 / ゲストハウスプレス編集長  : 「好きなことをして生きる」を実践するべく活動するライフクリエイター。2017年より神奈川の海辺から大阪にUターン。現在はあたらしい旅と暮らしの発信基地Wanderers!の運営をはじめ、 旅にまつわるさまざまな事業プロデュースを行っている。http://moanablue.com/life